高校生の潜在能力と教職
- 日数教大会エキシビション 岡崎高校のコーラスから学ぶ ‐

根岸 秀孝
「数学教育の会」 於・学習院 2003年9月6日 提示原稿 

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 8 月4日、名古屋で催された第85回日本数学教育学会開会式のエキシビションには感銘を受けた。愛知県立岡崎高校の合唱隊の素晴らしいパフォーマンス。なるほど、韓国プサン市で昨年おこなわれたアマチュア合唱コンクール世界大会で金メダル、2年連続と聞く。80人を超えるハーモニーは国際会議場大ホールいっぱいの聴衆を魅了した。

 その素晴らしいコーラスに聴き入りながら、この催し物を企画した大会事務局の先生方の密かな想いを感じた次第である。いや、企画側にはその意図があったのか、なかったかは不確かなのではあるが。 
 どういうことかというと、生徒たちの潜在するパフォーマンスをこれほどまでに引き出した指導者の素晴らしさ、そして、生徒たちそれぞれに熱意をこめた成果が歴然と表出していた事実である。16〜18歳の若者の潜在能力の凄さに圧倒された。実に高度な能力の結実である。

 一般に、人間の潜在能力というものは40年、50年、否、日数教がスタートしてからの85年としても、そうした短い年月では進歩も退歩もしないと思われる。要は、その潜在能力をどのように引き出せるか否かが大切であろう。  
  コーラス隊の生徒たちの音楽的能力と発声、指導者である先生の構成、伝授による潜在能力の引き出しに感銘を受けた。高校生活3年間という短い期間のなかで、あれほどに音楽性豊かな表現が、高校生に出来るのである。

 古今東西、数学力を発揮し始める年代は10代の後半からといわれている。まさに高校生である。数学オリンピックという機会があって、世界の高校生が競っている。国別の団体戦もあろうが、個人の力量が主となろう。これとは別に、毎日の授業のレベルでいいのである。生徒たちの潜在能力がいかんなく発揮される授業というものが存在する筈で、実際にいくつかの例を知る。くだんの音楽の先生のように、数学の指導者としての使命で大切なのは、授業をとおして生徒たちの潜在能力を引き出すことが求められよう。学習が楽しく、感動を呼ぶ授業の仕掛けの大事さを、あの秀逸なコーラスは示唆してくれた。この仕掛けを狙ったかどうかは別として、式典を企画された先生方に敬意を表したい。ある意味で、数学教育界には強烈なパンチであった。 

 大会の式典、シンポジウムの後、懇親会で何人かの教育者の方々とこのことを話し合った。 何人もの先生方は、企画者の意図云々は別にして「なーるほど、そういう示唆ね」と想いを共有できた。そして何人かの先生方は、「音楽と数学は別だからね」と一言で片付けてしまう方も結構いらした。普遍性と抽象性を大切に大局からの見方が大切な数学の教育者としてはいさかか寂しくも感じた次第である。 

 高校数学の現状を危機としてとらえ、その解決策としての最重要課題として改善していかなければならないのは授業そのものの進め方、あり方であるという意見に大いに賛意を感じている。"カリキュラム論議"のなかで、"授業改革"と"教員の再教育"に関してもう一段議論を深め、さらに教育行政、教育センター、大学入試センター、両親がもつ学習観、社会の数学への関心というそれぞれの危機を全体的にとらえ、理数教育の再構築に本会「数学教育の会」の貢献を心から望む次第である。

 



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