「学習指導要領の狙いと授業実践のギャップ」

根岸 秀孝                                        
「数学教育の会」 於 学習院大学 1/11/2003 提出原稿 

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 何回目か不確かだが、再び、高校数学の「学習指導要領」を読んでみた。わずか12ページなので読む時間は取られない。これほど簡単な記述で授業のあるべき姿が網羅できるのであろうか。もちろん学習すべき項目はしっかりとリストされてはいる。先日、韓国の第7次改革の指導要領を参照した。韓国語は読めないので人の助けを必要としたが。記述のページ数は比較にならない程の分量である。わが国の「学習指導要領解説」書をもってしても、その記述量はかなわない。数学教育の意義・目標に関しては、両国の内容には相当な範囲の共通性があるのが興味深い。中国のそれをみても、米国のNCTMスタンダードにも共通する内容といえる。数学教育改革の狙いは共通している。しかしながら、授業の実践を考えるとそれぞれの事情が反映されているのが実情であろう。 
 「学習指導要領解説」についても、もう一度、読んでみた。もちろん、教科書執筆者はこの記述を詳しく参照している筈で、教師も然りと思われる。教科書の選択時にこの解説無しでは、その作業も心もとないものとなる。そこで、「学習指導要領」と「学習指導要領解説」を参照し、その成果としての教科書を眺めてみて、はたして、教育課程審議会答申の、指導要領の狙いとされる意義・目標に適う授業実践が起きるだろうかとの疑問が残る。

  1. 基本的な概念や原理・法則の理解
  2. 身近な事象を数学的に考察し処理する能力
  3. 数学的活動を通して創造性の基礎の育成
  4. 数学的見方、考え方のよさの認識
  5. それらを積極的に活用する態度の育成

これらをもくろみ、自ら学び、自ら考える力の育成促進のためにコンピュータ、グラフ表示などができる電卓、情報通信ネットワークなどを積極的に活用するということも言及している。意義・目標の記述には、その内容の素晴らしさと正当性、必然性を感じ、実に優れた狙いであるということがわかる。


 「学習指導要領解説」では、「・・・の内容で構成した。位置付けることとした。配慮した。扱うこととした。履修させることとした」という具合で、各学習項目の関連性と構成という、いわば“ハードウエア”の解説がその主な記述となっている。各教科分類、基礎、数I, 数II, 数A等の解説をみると、学習項目における関連性、扱いの限度、何を学ぶかが記されている。「・・・の公式まで深入りはしない。・・・は取り扱わないものとする」との言及が散見できるが、テクノロジー活用の学習では、生徒たちが教科書では扱わないことまで気付き、踏み込んでいく場合も十分にあり得る。指導要領では学習の最低限を示すとされているが、生徒の潜在力を大事にすれば、教科書をはみ出す感知の可能性にどう対処するかの解説はない。
 このような記述がたいへん便宜な場合が考えられる。教科書に全く頼った授業をとにかくこなす先生には助かるガイドラインである。また、センター試験の出題者にとっても便利なガイドになる。新しい形の教育を目指した指導要領ながら、知識の教え込み的な従来の授業形態が都合のよい“教え側”の立場にたった構成が気になる。


 ここで、学習の、授業の“ソフトウエア”ともいえる領域とはどういうことかを考えてみる。

  “数学嫌い”との確信を中学生のころに認知し、進路が文系で受験に数学は不要と決めつけているような生徒に対して、どう対処していけばよいか。
  数学的見方、考え方の良さとは、どの学習項目で、どういう時点で味わえるのか。
  身近な事象の数学化の具体的な展開と実践はどの学習項目でどう実践するのか。
  高校数学において、何をもって創造とするか。生徒の活動のどのような時点で創造力を引き出すのか。
  数学的見方、考え方の良さというが、何をもってして数学的見方、考え方とするか。
  数学学習で得たことの積極的な活用態度とは。
  授業のなかで期待される“気付き”、“発見”の機会、仕掛けをどのように工夫するか。
  生徒の関心を引き出すため、学習項目に関わるストーリー性、コンテクストをどのように授業で実践していくか。

こうした“ソフトウエア”の領域を教科書に反映するには、既成概念ともいえるページ数ではあまりにも少なすぎる。さらに、学習項目の順番が、教科分類の規定に則った編纂では、代数の数理を、幾何・図形に変換して探求するというような試みも難しい。要望される一冊のコストを考えれば、各社の教科書のページ数はあまり変わらず、内容の特徴はどうなるか。教科書出版社としては、採択されるか、されないかが命運を左右する。採択されれば、その教科書の指導書、準拠した参考書が売れるわけである。挑戦的な改革は盛り込み難い編纂にならざるを得ない。

 
 指導要領がもとになり、各教科書が編纂され、審査され、発行される。指導要領には実に素晴らしい学習の意義・目標が述べられている。しかし、上述のような“ソフトウエア”的領域をスキップし、各教科分類別の学習項目のリストという内容の指導要領は“なか抜き”だとしては言い過ぎか。学習指導要領と授業実践の間にギャップが生じてしまう仕組みに懸念を感じる。
 こうして用意される教科書が生徒の手にわたり、もちろん、教師用の解説書なるものも存在する。先生方はそれぞれ学校単位で、授業方針、計画を熱心に研究するのであろう。そこで、大いなるジレンマに陥ることになりはしないかとの懸念がある。学習指導要領で謳われている目標実現が、現実の教科書ではたして実践できるのであろうか。いかなる教科書であっても優れた授業を何年もの間 実践してきた先生方は心配ない。あるいは、少人数クラスが実現している学校ではきめの細かい工夫が実践出来よう。問題は、検定教科書としているからには、義務教育ではないにしても、その教育内容は全国の高校を対象にしている。そこで、各学校、各先生の力量に頼ることとなる。気骨ある優れた先生方は、単にそれに従うだけでなく、それぞれに工夫をこらした授業を進めていてくれる。しかしながら・・・  多くの先生方は、教科書に頼って授業を進めて何年間、創意工夫をするまえに、限られた時間数で教科書の内容を消化していかなければ、とのプレッシャーを持っていよう。それが、無意識のうちに存在する教育界の社会規範なのだから。受け持っている生徒各自がどのように成長しようがしまいが、教員の査定給与はあまり変化がないのが実情であろう。学校運営を経営としてとらえる私立学校ではそういうわけにはいくまいが。そして、この10年の間、“理数離れ”、“数学嫌い”という負債を蓄積してきたのではないだろうか。

 
 暴言を承知で述べれば、“なか抜き”の「学習指導要領」、「学習指導要領解説」が故に出来上がる教科書で、はたして、基本的な数学教育の意義・目標をまっとうする授業が期待できるのだろうか。“ソフトウエア”としての授業運営、授業実践は、その大部分を教師一人一人の力量に頼ることとなる。力量のある先生の数には限度がある。一般的な高校の数学授業における教育改革が期待できる仕組みとは言いがたい状況ではないだろうか。
 加えて、もう一つ重要な懸念を感ずる。何人かの教授、教員の方に確かめてみたが、わが国の大学で、高校教師養成専門の学部、教育機関が存在しないということを知った。初等教育では、授業実践に備えて、多くの講座、実習、ゼミ、研究会が起きている。ところが、高校の数学教員の養成という点では、まことに寂しい状態だと聞く。数学を履修し、いくつかの教員免許に必要な講座をとることで済んでしまうというのである。しっかりとした授業設計、教授法のノウハウ、授業実践を学び、実習を重ねる中で、数学学習の意義・目標を達成する教師としての素養・力量が磨かれることと理解する。もし、そうでなければ、これは“なか抜き”の仕組みである。「学習指導要領」と授業実践のギャップといえる。


 新しい数学学習の成果を成就するためには、自ら学び、自ら考える力の育成、学習意欲の向上、数学を楽しむ、等々への仕掛けが求められている。こうしたノウハウは、各教師がそれぞれの実務のなかで気付き、工夫する以外にないのだろうか。


 米国では州ごとに、また、全国から優れた教師を選抜し、そのトップは大統領賞として称える仕組みがある。その優れた点が何かの共有が起きている。韓国では各道(県)にある教育大学で小学校の教員を養成し、主要大学の師範大学では中学・高校の教師養成の確固とした仕組みがある。わが国では、大学ごとにその卒業生による研究会は多くある。ここでは授業参観をふくめ、授業研究が起きている。しかしながら、こうした研究会に参加する熱心な先生方はあくまで少数派であろう。大部分の先生方は、はたして、どのような授業をしているのだろうか。年々増加を続ける“数学嫌い”の生徒が卒業している。このことを知ると、現場の授業の実態を、悪い方に想像してしまう。

 
 「次期カリキュラムをどうするか」との話題が聞こえ始めた。如何なるレベルのエネルギーを使っても、学習内容(学習項目とその構成)の再構築では、数学教育は良くならないと考える。何を学習するのかではなく、どのように学習するかが肝心となる。現在の学習指導要領のままでも、あえてかまわないとする。学習項目は二の次と考える。大事なのは、授業実践の改革こそが、明日の世代を、知的立国を支えることになる。


 新たな試みと挑戦もある。文科省の検定を受けないテキストブックが東京書籍から出版された。非常に頼もしい動きである。先ずは、中高一貫の新しい学校形態がその引き金の一つとなっているようだ。とくに数学では6年間の教育をどうしていこうかとの新しい条件下で、その内容を見直す機会となっている。全巻12冊のうち、6冊が発刊された。テクノロジー活用を踏まえ、生徒各自の活動的学習を大事にし、各学習項目には、現実の事象に関連するストーリーにも相当にページを割いている。学習の意義・目標と授業実践のギャップを少しでも減少する内容になっている。この教科書の選択が注目される。勇気ある教科主任と、それを認可する校長の力量が問われる。まずは副読本としての採択になろう。「これまでと同様で、なんとか改善を」との、過去の規範から抜け出せない学校ではそうした教科書を活用できないのは明白である。まずは、私立学校での選択になろう。それも気骨ある学校に限られよう。こうした動向は、新しい規範作りの始まりといえる。


 学習指導要領と授業実践のギャップが減少し、優れた先生方が増え、授業実践に改革が起きることで、数学嫌いの減少が期待できる。そうならなければ。

(ねぎし ひでたか / Texas Instruments E&PS)

 


 

     



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