教育界における情報化


根岸 秀孝
数学教育学会 シンポジウム 2000年6月25日 参照原稿

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情報とは? 情報化とは?
情報、 すなわち、“インフォーメーション”それ自体は、人間のあらゆる活動のなかで創出され、伝達され、蓄えられ再利用される、との理解に異論はなかろう。 何百年もの間、営々と続いてきた人間の営みであり、 何ら、新しさは存在しない。 しかし、“情報化”となると、少々新しく聞こえてくる。 ビジネスの世界で云われている“ I T 化”と同意語として捉えて良かろう。 本稿で論じるのはこれの教育界における捉え方と、教科学習である、数学、理科との関連である。
複数の人間が共存する社会のなかで、各自のもつプラス、マイナス両面の価値を“共有”することを前提とした社会活動が、人間が人間らしくなる所以であろう。 この“共有”ということが情報化を論ずるうえでのキーワードと仮説して、本稿では大事にして論を進めていく。 もう一つ重要となる要因は“スピード”である。
まだ人馬のみが移動の手段、口伝えの便のみの時代に、その時代にとっては大事件が、同じような年代にフランスと、日本でおきた。 フランスのリオン、日本では長崎。ともに似たような距離の中央に伝えるべき重大事。パリへ、江戸へと。
双方、何日かかったか? 意外に日本の方が、当時、はっきりと早かった。 同様な原始的手段。 それなのに速さに差がでたのは何であったろうか? 興味深いその理由は、都市の構造にかかわる道路網が、そして人々の習性がその理由であったという解説だった。 先ずはその人々の習性。 日本の人たちは、なにかと人に伝えたがるし、聞きたがる。 一方、欧州の人たちは、自分は自分、人は人を大事にする。そして、日本の宿場街を想ってもらいたい。 多くの街道が京へ、鎌倉へ、江戸へという、やや長手方向の土地利用の日本では、その幹線は東西南北いずれにしても一方向にちかい。 かたや、都市国家で育った欧州では、まず街のまわりには外部の進入をふせぐ壁が張り巡らされ、その道路網は街の広場から、放射線状に伸びている。これが、現在、その街を訪れる観光客にとっては楽しいけれど、厄介な代物。方向が定まらない。 日本では、右から聞いた話は左に、北から来た話は南に伝えれば良かった。ところが、欧州の街では東西南北、上下左右に放射状に伝たわることが期待される。 で時間もかかったとういうわけだ。 なにやら、漫談のオチのようではあるが、情報化、情報のスピード、同時共有化の論に話題を提供してくれる
この話は先の3つ、創出、伝達、再利用という情報化の要素をふくみ、人間の活動そのものを含んだ現象のあらわれの一つである。
コンピュータとそのネットワーク、所謂 ITの価値ともいえるこの3要素と、それの同時共有化、すなわちスピード。 これが昨今、起きている情報化パワー、ITパワーといえる。


創出、伝達、再利用−これの同時共有化
ビジネスの世界で、ITが従来の仕組みに大変革を起こしている。 端的な例が銀行業。 これまでの伝統的な有名銀行が苦悩しているなか、異業種の参入が起きている。 勿論、認可制度の緩和なしには起き得ないことではあるが。 この規制緩和さえも I T革命が故の逃げられない施策。 コンビニストアーへいけば、これまで銀行の支店に足を運ばなければ得られなかったほぼ全てのサービスが受けられる。 銀行側にとっては大いなる経費の削減。 最終利益享受者、ユーザー本位のサービスとは? この追求の結果が大手ディスカウント会社の銀行業参入の話である。 そこには、その仕組みの創出にフルに活躍するコンピュータ技術と数学基盤がある。 そして、この仕組みを、如何に莫大な数の端末−ATM機に伝達するか、そしてその莫大な量のデータを蓄積し、再利用、すなわち、これも莫大な数のユーザーが、 そして、多くの銀行管理者がモニターする。 データの再利用、分析が新たなサービスを創出し、ユーザーはそれを享受する。 もう古いタイプの銀行ではやっていけないという状況が起きてくる。 この仕組みのなかで、ユーザーとサービス提供側との間には、契約、信頼に基づいた情報の共有化が不可欠である。


情報の“同時共有化”と“スピード”が世界を変えている。
企業における部署は経理部、人事部、総務部、購買部、営業部、設計部、製造部、等々、この何十年と変わらず存在し、それぞれの所属長のもとに、過去と同様な機能を担ってきた。 ここに変化が起きている。 情報の適確な同時共有化と、そのスピードをフルに活用しだすと仕組みを変えざるを得ない。 いわゆる縦割り組織の崩壊である。例えば、いくつかの課をもつ経理部が存在する。 そこではそれぞれの課の機能をもういちど洗い直す。 営業部では各顧客グループごとに、その顧客の満足を最大限にするにはどうすべきかを考える。 解決策の一つとしては、営業の、経理の 、購買の、それぞれの顧客担当が集まり、グループを形成する。情報は即、全員に共有される。 刻々と変化する在庫のデータなどは、オンラインのデータベースを参照する。出先からも勿論のこと。 いわゆる業務プロセス中心のプロの集まりができる。 そのグループの目標はその顧客満足である。 これまでのように、各部署の目標を達成しようとする部のエゴは消滅せざるを得ない。 企業内の必要なプロがそれぞれの役割のもと、顧客満足を第一義として活動する。 迅速な判断と、顧客への返答。 欲しい時に欲しいものを。スピードが物を言う。 流通業のなかには、店舗に在庫が少なくなった時点で、その製品の納入メーカーでは、この情報をもとに製品を自主的に配送する。 書類による購買手続きは過去のはなし。
部長に承認、各部との根回し、こうした慣習は、これまでの部署の成果とはなんであったのか? 顧客満足なしに企業の大目標は達成出来る筈がない。 すなわち競合各社との競争に勝てない。 存続自体が危ぶまれる。 まさに単純なルールである。
情報化、 IT革命が産業の仕組みを変えている。 企業の競争力を、企業内部の仕組みを、経営者、管理者、従業員を。


世界は変化している。 教育界では?
教育界の情報化。 まず、学校運営におけるITの導入はどうであろうか。 成績表、出席簿はそれぞれの教科主任、担任のPCのデータに保管され、一部、教科でもPC活用が進んでいよう。 学校運営そのものの情報化は? 年度予算とその月々の会計経過は? 教員各位の人事データベースは? 各学期の時間割、教員の割り当てと教員の時間数、情報発生の最少単位である各生徒の学習経過、試験結果、出欠の統計データ、そのリアルタイムの管理は? さらに、迅速な判断が不可欠ではあるが。
こうして、情報のスピードと同時共有化が生み出す時間の余裕を、先生方の本来の仕事である教科の工夫に使うべきではないだろうか。
もし学校職員全員による情報化の意義理解が充分ではないとして、はたして、子供たちへの情報化教育が果たせるものだろうか。
学校社会では、とかく、現場の先生方に、
期待と責任を感じがちである。 教員にたいする多面にわたるプレッシャー。 その状況の中で、これまで、学校長の権限行使と管理の主体性はどちらかというと軽視される傾向で、教育委員会、教育局主導の体制だったのでは。 文部省は、ここにきて、学校の自主性、校長の主体的指導性を喚起しだした。 そうした体験の少ない校長にとっては、なかなかの課題となろう。 そして新学習指導要領による情報科、総合学習の教科設定。 与えられる課題は大きい。
何年も続いていたとおりに毎日を過ごしていては、変化が早い子供たちの価値観に、世の中の変化についていくことは困難だ。

‘受ける’という動詞がある。 この動詞の前に、良く耳にする語をならべてみる。 教育、授業、教え、訓練、講義、補修、試験、評価、指導、等々。 授業を受ける。教えを受ける。試験を受ける。‘受ける’という受動の動詞、 そしてその主語は‘生徒’である。 生徒たちは与えられ続けることに慣れきっている。 それが自然になっていて、与えられることに対する反応が、理科、数学教育についていえば、“嫌いな教科”の増加である。 子供たちにとっては、自分が能動の動詞の主語になりたいという潜在の願望と満足があるはずだ。 取る、得る、つくる、する、出す、等々。 この動詞の前にくるのは、感動、発見、意欲、知恵、知識、解決、見通し、考え、表現、動機、等々。 感動を得る、発見する。 答をつくる。 考えを出す。 学習する。 意欲を得る。 知恵を出す。 生徒が主体で主語となる活動の数々、そこに情報化、I T の活用理由があろう。
ここで、情報化、I T 革命が起きている企業社会で観察できる共通項が見えてくる。 創出、伝達、再利用をスピーディに共有化する。 そこには、過去の習慣を守っている余地はない。 縦割り組織から横へつながる新しい仕組みが求められる。 何年も続いてきた部署が統合され、顧客を主体とした施策が求められる。 そうした改革が出来ない企業は脱落していく。
それでは、学校社会では? これまで、営々と続いてきた各教科は? 教師の役割は? 学校の社会責任は?


コンピュータを使うのが情報教育なのだろうか?
教育における情報化の真の価値とは?

コンピュータを使えない何年も前から、知恵と力量のある先生方は授業実践のなかで、情報の創出、その表現と伝達、再利用、同時共有を生徒たちに味合わせている。 情報化の価値を提供してきている。 ‘できる先生’といわれれる先生方と深く話をするなかで、このことを知った。
情報教科に関連して、学会、研究会の論文が盛んになってきた。 多くのそれは、PCの、インターネットの、ウェブ・ページの、 情報技術者とも思わせるシステム・フローチャートと。 どうも、ハード偏重、テクノロジー偏重の論調が多い。 コンピュータ室に40名もの生徒を集めて、どうやって授業 (グループワークは別)が成立するのか、生徒たちはそれぞれの CRTに埋もれて自分の世界、大いなる疑問を感じてきた。 そうしているうちに、ハードウエアの設備予算が計画され、情報が必須教科になるという。 そして情報技術者の採用予算が検討される。 最終利益享受者であり学習の主体である生徒たちについての研究は? 情報技術がもたらす教育への真の価値は? こうした研究ははたしてどの程度進んでいるのだろうか。

情報化社会における教育を考えるとき、もう一度、教育とは? との原点に立った深い思考が大事なのではないかと強く感じている。 その仕組み、教師の役割、家庭での教育のありかた、行政の役割、 進学の仕組み。 いろいろある。 その深い思考のあと、教育はこうありたいという構想が見えてこよう。 そうなれば、それを着実に、スピーディに、真に利益享受者にふさわい情報化の仕組みが見えてこよう。
欲しい情報が欲しい時に得られるという状況は相当に進んでいる。 ここで大事なのは、学習のなかで何を知りたいのか、知る必要があるのか、という判断と考え方であろう。 この力、“自ら学び考える教育への変換を図り・・・”、が学習の基盤であり、これまであまりうまく指導できていなかったという反省もあろう。 この改善をすべて、情報技術導入、情報教科に期待するのではたいへん危険である。 先述の‘できる’先生たちはとうの昔からこのことをやってきているが。
‘云うは易し’であるが、要するに、良い教育が起きていれば、いかなる新しい道具、仕組みが入ってきても、適切に活用でき、結果としてはこれまでにない改良、改革を得ることができよう。 まさかそんなことはないと思うが、“情報機器が入ってくる、さあ、どうしよう”という状況では本末転倒である。 まず、教育哲学というか、本来の実践教育の確立が先で、その道具、環境として“情報化”が生きてくる。 産業界にみる情報化の変革にそれを見る。


情報化が起こす学校改革
産業界にみるI T 改革を参考に、教育界にどのような形の情報化があるかを考えてみる。 先に述べたように先ず、学校運営にそのものにI T を導入すべきと考える。 実例がある。 隣国の韓国、ソウル市にある私立の中・高校、中東学園を参観した。 学校運営が情報化されている。 I T 担当の管理者、技術者4名のもと、I T の管理・運営が行われている。 そのコンピュータ室は企業のそれと同様。 彼らの提供するサービスは産業界でいう E R P(Enterprise Resource Planning)そのもの。 学校運営系では、経費管理は勿論のこと、教員の人事データ、教員の評価データベース、各学生の成績、出欠等の個人データ。 およそ考えられる情報が一括管理されている。 興味深いのは、教員の人事考課システムである。 詳細は学外秘とのことで詳しくは教えてもらえなかった。 しかし、この学校のスポンサーであるSamsung社の人事考課システムをベースに開発されたと聞く。 良い活動をしている教員とそうでないものとで給与の差がつくのは勿論のこと。 親しい先生によると、PCの活用技量は進んだ企業人並みとのこと。 教科系では、各教員は技術的サポートを充分に受けている。 参観の日、英語と数学の先生が、技術者の助けで教材の仕上げをしていた。 教員の時間は、教科に、その他の学校事務はその専門職員が。 事務職員と教員の給料にははっきり差がある。 教員は教員としてのプロの給与をとり、それなりの力量と成果が望まれている。 この中学校で 数学の授業を参観した。 よくあることだが、それこそビデオ機器ひとつをとっても、こうした機器をスタートするときに、たまに使う人のまごつきというのがある。 見ていると、ものの2,3分でも、じれったくなるほどの時間を感ずる。 ところが、ここの先生の動作と、タイミングには驚かされる。 ここぞという時にビデオが走り、PC の画面が、そして傍らにはグラフ電卓。 こうした習慣があれば、時限、時限で異なる生徒の質問に対しても、縦横無尽な教材と、道具を活用できる環境といえる。 勿論、この教室はその先生の部屋になっているわけで、先生のPCは学校LANからインターネットへ。 文部行政官の注目の的と聞く。 生徒にとっては、知りたい時に知りたいわけである。 生徒の主体的質問からグループのディスカッションにも広がろう。 情報の創出、その表現と伝達、共有化がいっきに走る。 最終利益享受者、生徒の目が輝いていた。


他教科と数学教科が、情報化のなかで?
情報化を基盤とした数学、理科系の教科教育の可能性を考えるとき、まず第一に、学習指導要領を“従う”ものとは捉えずに、“活用”するものと理解すべきであろう。 大臣官房政策課長の寺脇氏も学校の自主性を説きながら似たような主旨を述べている。

ここで、98年度早稲田大学数学教育学会誌、第16巻、第1号にある筆者の寄稿から引用させていただく。 ひとつの可能性である。

−−−−引用−−−−
そのアイディアとは融合、統合、総合科目。例えば、音楽と数学の融合教科。 音楽と数学の教師が案を練る。 数列をある程度理解し、任意の、あるレベルの規則性をもった数列を創出する。 この数の組み合わせセットを、サウンドボードをそなえたパソコンに入力する。 作曲である。 試行錯誤の成果はおそらく、素晴らしいメロデイ。 作曲で音楽の単位 0.4 と数列履修として数学の単位0.6の取得とする。 英字新聞の切り抜き読み込みで英語読解単位 0.5、社会系の単位0.5となる。 米国の数学教科書から問題を解いて、英語読解0.4、数学0.6 単位。 数学用語を英語で認知。 国際性を問われている教育にはまさに一石二鳥。 数学と化学、物理等は当然の融合。 役立つ英語、役立つ数学。一面的な既成概念打破の数学教育。 “数学って、けっこう役立つんだ。”
各教科の専門性は各教師の責任、さらには各教科の新しい学習形態への創造的開発、生徒の関心を喚起する授業が生れてくる。 これまでの慣習的講義を10年一日のように続けていた先生方にとっては大変化が求められる。 教師側の研鑚なくして、教育の改良など有り得まい。
こうなってくると、いかにその履修成果を記録し、管理していくかが、カギとなる。 インフォメーション・テクノロジーの時代である。 このいわゆる IT の導入が最も遅れている分野のひとつである教育界への福音となろう。 システム設定の専門家に、無意識に支出されている無駄な学校経費の一年分でも払い、半年もあれば、システム完了は夢ではない。 二人、三人の先生方が学期毎に新しい講座を策定し、パソコンに打ち込む。先生たちの間で創造的思考が芽生える。 教師間の時間重複のチェック、 教科主任の認可、登録、生徒への案内。 全て IT パワーが助けてくれる。 生徒は、 廊下にあるキオスク・パソコンで、履修の進展のチェックもオンライン。 パスワードで成績閲覧も。
インターネットがつがなり、ホームページが整ったことをして IT 導入との誤解ともいえる認識が蔓延ってはいないだろうか。 学校管理運営の根幹そのものに使われて、はじめて IT 導入といえよう。−−引用終わり−−

このアイディアは、文部省で決められる教科の単位制度を活用し、その制度の改変を待たずして、情報化によって実践可能な仕組みである。 待っていては始まらない。 一歩進んだチャレンジが求められる。 そして、その成果が次の改革につながろう。 先述の韓国の学校が好例である。


教育界における情報化とは?
情報化が足元にやってきている。 無視するのも良し、活用するのも良しである。 企業の部門、部署のように、伝統的は教科名を残して、そこに居座るのも良し。 また、積極的な統合も良し。 情報化によるヴァーチャルな統合も良し。 すべて、最終利益享受者のためにどうすべきかにかかっている。 できる子も、できない子も、それぞれに“自分ごと”として感ずる学習があって、目と目が輝いて欲しい。

「数学における基本的な概念や原理・法則の理解を深め、・・(中略)・・・数学的見方や考え方のよさを認識し、それらを積極的に活用する態度を育てる。」 数学教科の目標である。


追記:
教育界に所属籍をもたない筆者ですので、 “なにを勝手なことを”とのご批判が聞こえてきそうです。 ご容赦ください。                        5/15/2000 現在 (HN) 
     



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