クラスサイズと教育改革


根岸 秀孝
1999年3月

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ひとクラス 40人、というのが現行中等教育の原則という。
ここで、教育の話題からはなれて、一般的な人間の活動として、その習性ついて考えてみる。
いったい、ひとりの人間が何人の人に直接的に影響を与えることができ、何人の人の言動、態度、その進展をつぶさに把握できるのであろうか。 ビジネスの世界では、部下は10人が適切といわれている。これはおそらく多くの人の経験則といえよう。 10人を超えるとそれぞれへの理解は薄まり、形だけの統括ということになるようだ。 本当の意味で仕事上のチームワークは、そのメンバーが5人を理想とするということを学んだことがある。 一人一人が助け合うチームにおいて、1人が4人を助けなければならない。100をその1人のエネルギーとして、あるいは時間として、20%ずつメンバーの4人に使うとすると、残る20% が自分自身に使えるエネルギーとなる。という理屈である。 他を助けて、助けて、そしてはじめて、助けられるという仕組みである。人に助けてもらうためにはまず自分からというのが理想的なチームビルドだそうだ。チームが偶数では意見が分かれた時に困る。 3人のチームの場合、そのリーダーの固定化が起きやすい。 理想的なチームはその場、その仕事毎にリーダーが入れ替わることが大事と聞く。 学校のチーム学習の参考になりそうだ。

教室には 40人の生徒がいる。 そして求められているのは“個性を尊重した”教育。 どのように40人それぞれの個性を認識していくのだろうか。 極めて困難な要求といえる。 40人いっしょのクラスでは、生徒各自としても、自分自身の存在感、他への影響力、発言のチャンス、生徒間の議論、そうした機会がなかなか体験しにくい。 すなわち、学習が“ひとごと”となってしまい、“自分ごと”と感じる機会の喪失につながる。 教師にとっても、限られた時間内に耳を傾けられる生徒の数はしれている。 机間巡視においても、その理は同じ。 生徒は敏感である。 よく見られていると感ずる生徒はそれなりの反応があろう。 教師にとっては、知識伝達型の講義形式の授業が慣れているし、心地よい。 で、その範囲で出来る限り個性を重んじてということになる。 そして、その中身は? 小人数の真剣な眼差しを察知できていれば、教師としても自然と各生徒にたいしての思い入れが生じてくる。 人間の習性はまげられない。

教育改革の一環として、生きる力とか、数学的に考える力、学習を組み立てる力、 創造力、日常の生活から数学する、等々の狙いがあろう。 こうして求められている成果に対して、はたして、40人クラスでいいのだろうか。 韓国、中国は日本と同様であるが、欧米の国々では 25人- 30人というクラスであることが多い。 米国では、この6月に大統領の提案で、公立小学校の教員を新たに3万人増やすため、総額12億ドルを教育省から各地区に支給するとし、ひとクラスあたりの生徒数を現在の30人から18人とする計画が発表された。 反対派の意見もあるので、決定は待つとして、国の教育に対する意気込みは素晴らしい。 一方、生徒人口の減少にあわせ、教育学部の学生数を減らしている国もある。
文部行政の一つとして、教員の増員と、ひとクラスあたりの生徒数削減の検討はどのようになっているのか、大いなる関心である。

人間の基本的な感性と、習性への対応がないところに、新しい教育改革は望めないとの危機を感ずる。    (HN) 
     



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